三省会

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宇佐晋一先生 講話


うそからの全治  

 三聖病院の創設者であった父 宇佐玄雄げんゆう(1886~1957)は早稲田大学(インド哲学専攻)を卒業ご、大徳寺の僧堂で修行した禅僧である。伊賀市の山渓寺の住職となってから医学に志し、東京慈恵会医学専門学校に学んだ。精神医学は森田正馬教授の指導を受け、1919年に医師となり、引き続き東大精神医学教室で研修した。この1919年は森田療法の成立の年である。のちに臨済宗東福寺派大本山東福寺の事業としての絶大な支援を受けて1922年京都に三聖医院を設立し、1927年に病院とした。森田教授のほか、京大精神科 今村新吉教授を顧問として迎え、もっぱら森田療法を行うという異色あるスタイルでの発足であった。

 今村教授の指導のもとに行った研究は「感覚残像ト心的態度トノ関係ニ就キテ」というもので、主として視覚、痛覚ならびに触覚などの感覚残像が対象群にくらべて神経質者に著しく長く続くことに注目し、さらにそれらの残像に対して①早く消そうとする反抗的な態度②もっと長引かせようとする持長的態度③あるがままに受容する態度の3者における差異の観察から、②と③がもっとも速く消え、①は逆に長く残るという事実を見出した。これらを尺度として、入院中の治癒過程において次第に感覚残像時間が短縮していくという客観的把握が可能になり、それまで治療者の主観的判定によるほかなかった治ゆ状態が、明確に数量化されて、客観的な治ゆ判定ができるようになり、森田療法の治療効果も測定可能となったのである。

 これであらゆる神経質の症状が感覚残像になぞらえることのできる心理現象としてとらえることができ、どのような個性的と見られる症状も、その人にとって取除きたい嫌な心理現象に対して、反抗的に早く消そうとするほどかえって目立つ存在となり、とらわれが増強することが、共通の自己意識による主観的虚構性で成り立っていることが明らかとなった。

 この感覚残像の理解から前院長の講話は淡泊瀟洒しょうしゃをきわめ、症状の成立は、あたかも子猫が自分の尾に関心をもち、それをつかまえようとしてくるくる回る "から回り" と同じだと説き、けっして精神病理的な説明に深入りすることはなかった。見舞客には「おかげさまで、よくなって来ました」と喜ばせるように指示し、「うそでも健康人のふりをするように」と教えた。このふりこそが精神医学でいう「表現が精神である」という他者意識に生きる生活をみごとに演出させて、早速の全治を確かなものにさせたのである。

   2022.3.8



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