三省会

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宇佐晋一先生 講話


もっとよく治る森田療法 

 一般に森田療法は、このごろは森田理論の学習から入るのが一番の早道であるとされている。これも一理あるといえるのは、全治の状態は他者意識すなわち実生活上の努力の姿にほかならないので、精神作業としての学習はその内容の如何いかんにかかわりなく全治の姿であるからである。

 ところがしむらくは、理論学習は治療の手段として、方法化されているから、折角せっかくの努力が自己意識のほうを明るくしてしまい、全治から脱線してしまうのである。自分が治るためという自己意識内の努力に結びつきやすいので、理論学習が全治のさまたげとなり、学習内容の習熟が全治と思いこむほかない状況が、あたかも森田療法を理論武装であるかのような誤った印象を生じさせている。

 ここではっきりさせておきたいのは、森田療法による全治の状態は、まったく理論学習に関係のない意識の問題であるということである。

 意識は自己意識と他者意識に分かれ、自己意識は内省的な自分についての考えや心と他人が自分をどう思っているかという関心や想像の世界であり、他者意識は自分を取り巻く環境のすべてについての想念である。

 森田療法では、自己意識内に知性を持ちこまない状態があるがままで、純な心であり、全治なので、理論学習は邪魔であり、かえって全治の妨げとして作用するので、使ってはならないのである。これを絶学ぜつがくの意識といってもよい。人間の知性が精神の外部機構であることを忘れて、理論学習という知的作業を精神内界に持ちこむことをやめて、ただちに症状のまま実生活に骨折れば、それが身体作業や精神作業の区別なく、問題解決の努力、学習、感謝のすべてが、もっと早く、完全なよい治り方をもたらしてくれることは間違いない。
    
   2020.6.6 



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