三省会

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宇佐晋一先生 講話


心には手出しをしないこと 

 日本には精神文化を尊ぶ気風があり、それを誇りにしているという伝統もある。また わび・さび というものは外国人にはわかるまいという広く国民性に根ざす自負もあるが、それを的確に説明するとなると、なかなか難しいものである。それは心の問題はすべて自己意識に属し、その自己意識内容は ことごとく主観にもとづいたもので客観性がないからである。

 神経症性障害という主観的な病気の精神療法上のむずかしさも、この点に共通の原因があることを見破れば、難しい心理学治療理論を持ち出さなくても容易に完全に解決する。それは思いもよらない、意外なまでに新鮮なことがらで、だれも気がつかなかったことなのであった。

 その心の問題を一挙に解決し、ぐらつくことのない真実を発見するという人生上の一大事は、おそらく長年にわたる修行の成果として、特定の恵まれた個人に幸運にも見出されるものでもあろうかと、羨望せんぼうの目で想像されがちであるが、じつはそれは禅宗の僧堂の厳しさの一端を伝えるテレビからの予測に過ぎないのである。

 パニック症などの不安症や恐怖症が治ることの実際は、どのような考え方の進歩によるのでもなければ、積み重ねられた修行の経験によるのでもない。

 それは誇るべき日本的精神文化を今早速さっそく離れて、自分の立場を明解にするまえに、生活上の骨折りに徹して、あらゆる問題の解決、学習そして感謝の、他者意識における努力を始めればそれでよい。それはいつでもどこでもとりあえずの、自分を離れた用事への手出しが始まればよい。

 いいかえれば自己像や心を描き、さらに神経症性障害を形作ってきた言葉と論理を捨てて、自己意識内を概念化するまえに生活を先にして、ひたすら他人のために骨折ることである。ここに わび・さび の真に深い味わいも実現するのである。

   2020.7.6 



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