三省会

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宇佐晋一先生 講話


さあどうするか 

 世界で新型コロナウイルス感染症の人が1億1.000万人を超えたと報ぜられる中、皮肉にもどうしたら不安をなくすことができるか、という心の問題がとり上げられなくなってしまったのは、唯一結構なことである。そういう時にふだん気にも留めなかった、自分をもっと成長させたいという思いがわいてくればさらに願ってもないことだ。

 そもそも心の持ち方などと言って、心のやりくりで自分の問題がどうにでもなるように思っていたのが間違いであったのだが、なかなか気づいてもらえなかった。そのようなことよりも、どのようなことにもとらわれずにさっさと必要な仕事に手を出して進むことが、今の大変な時代には特に必要である。

 そのために自分をもっと成長させたいと考える人びとは、世のなかには発達心理学というものがあるではないか、それを学べばよいだろうと考える。それでも不十分ならば、さらに教育心理学を勉強すればいいのではないかと考えるであろう。

 ところが心の問題の解決は学問の世界ではできないのである。なぜならば自己意識の世界、すなわち「これが自分だ」と思い込み描いた自己像の世界は、言葉や考えによって組み立てたものである。しかし、心は瞬時も定まった姿を保ちえず、どのような固い決心も外界の刺激の変化によってゆらぎかねないのである。しかも学問の様な他者意識の世界と違って、自己意識の中は論理が異なる領域なので、それなりの対応が必要であったのだ。この点がほとんど無視された精神論は実際には役立たない。人間の知性が最も役立ってほしいはずの自分自身に対して無力であるということは信じたくないけれども、絶対に見落としてはならない厳然たる事実である。私は精神医学を学んだが、この重要なことがらは学ばなかった。

 昭和31年(1956)から父に代わって美濃加茂市正眼短大で教育心理学の講義をするようになってから、心理学を通じて学んだのである。人間の知性は外部機構であって、外界すなわち他者意識の世界にのみ力を発揮するものなのである。これに基づいて、コミュニケーション理論による教育心理学に矛盾を感じ、先生と生徒の一方にどうしても自己像を描かざるを得ないその間柄が是正されなければならない必要さを知り、コミュニケーションのない所に実際生活を通じた真の教育があることに気付いて、講義内容を改めたのである。

 当時は新幹線もなく、交通の不便な山奥に学校があったので、4日間泊まりこんで集中講義を行なったが、このことが幸運であった。それは短大に近い正眼寺の望雲亭という客室に泊まり、僧堂の雲水の人たちと生活をともにした。しかも毎日梶浦逸外老師に接して、その気魄のこもった雲水に対する指導ぶりをつぶさに拝見し、老師の提唱すなわち講座を聞かせていただいた。接心すなわち個別の入室にっしつ参禅の様子は、老師の隠寮が望雲亭に近い高い所にあったので、大きな声で叱られているのが手にとるように聞こえた。これは普通のコミュニケーションによる教育ではない。言葉によって意思を通ずることのない教育であった。

 つまり言葉による説明的な回答は老師から叱られるほかなかったのである。それは論理的な回答であると叱声が飛ぶと同時にドーナッツ形の環鈴が鳴らされ、それを合図に雲水は引き下がらざるを得ない決まりになっていた。何か良い答が見つからないから叱られるのではなくて、問と答という形に持っていこうとしているから「何をぼやぼやしとるか」と闇をつんざくような大声で怒られて、すごすごと引き下がらざるを得ないのである。

 心すなわち自己意識については論外であるという、分からない、決められない世界の話をしてきたが、これはまぎれもない真実に生きる大道である。問えばただちにその自分の言葉に引っかかり、答えればまた矛盾に終わる。「富士山に縄をかけて引っぱって来い」と今まさに言われている。さあどうするか。

   2021.3.14 



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