報 恩
今日はAさんの体験発表をはじめ、皆様方からのごく最近のご体験を詳しく聞かせていただきありがとうございました。
私は皆様方の日常、あるいは生活ぶりの真っ只中に全治していらっしゃる姿を見る立場でして、世間で言われるような心を問題にすることはございません。私の父である前院長は「神経症になっていることもできるし、治っていることもできるというのが本治りです」とはっきり講話で申しておりました。ではどういう状態になったら良いかと言いますと、どのようにもなりようがなく、ただ「このまま」さっそく前進するという、その生活ぶりそのものが全治の現れなのです。ということは、内面的な、心理学で申します自己意識というものはどうでも良いということです。今日持って参りました森田先生の「苦痛を苦痛し、喜悦を喜悦す、之を苦楽超然といふ」に尽きているわけで、どっちみち全治なのです。
Aさんがおっしゃったように、とりあえずの感謝をし、目の前のものを片っ端からありがたい品物であるというふうに見ていくのです。前院長も講話の時、机の上に置いてある皆さんの日記とか、お茶碗、花瓶とか、そういうものをずーっと見て行き、片っ端から感謝をすることをしておりました。ですから、自己意識を概念化するというところに留まらなければ、どういう心の状態であろうとも何もかもが全治であります。
かつて森田先生の最側近であった井上常七さんは先生のために尽くされた方で、京都に来られるたびに三聖病院に寄って私どもにお話をしてくださいました。ある時のお話で、森田先生が家に帰って来られて、どうも奥様がなさっていることと先生のお考えとがくい違いまして、そこで意見が一致しないという結果、口喧嘩になってしまったそうです。そうすると、森田先生が、「ここでは夫婦喧嘩も公開じゃ、僕の言うことと家内の言うことではどっちが正しいか言ってみろ」とそばにいた井上さんを捕まえておっしゃったというのです。これは誰がその場にいてもまったく困り果てる状況で、狭いお部屋をお考えくだされば容易に想像できると思います。とにかく、こちらでは奥様が睨んでおられる。そこへ先生が「どっちが正しいか言ってみろ」と迫るのです。井上さんは、こんなに困ったことはなかったと言っておられました。
こういう切羽詰まった状況へ追い込むということも、森田療法ならではの一面でありまして、逃げ場がない、そこでそれをどうするか。言い換えますと、自分のことをまったく考える余地がないのです。心理学では他者意識と言いますが、他者意識だけの状況に追い込まれるのです。森田先生のご趣旨はまさにそれでありまして、自分とか心に関係ある自己意識に一切、言葉を使わせなかったのです。絶妙の森田療法であったわけです。
つまり症状があろうがなかろうが、どちらでも良いということで、前院長は「症状がある時はあるまま、ないときはないまま」あるいは「神経症になることもできるし、治ることもできる、というのが本治りです」と、講話の時にはっきりと申しておりました。目の前のものに次々感謝して、そのありがたみ、ありがたい皆さんのご厚意に片っ端から感謝していると、それでもうその場で全治するのです。ですから、森田療法では、治って行くという筋道、経過がないのです。このようにして治ったという分かる話がまったくなく、そこが飛んでしまうのです。
今日のAさんのお話にありましたように、片っ端から感謝なさって、その場の人を十分に思いやることです。どういうふうにしてあげたらお役に立つか、その人に喜ばれ、助けることができるか、今何をしなければならないか、それこそ、森田先生が「君はもっとハラハラしたまえ」とよくおっしゃったように、外へ向けて緊張を高めて行くのです。
不安とか安心とかの問題は、どうでも良いわけでして、心がどちらに向いていても、外へ向けて今何をしなければならないか、その必要さを見抜くことがその場での作業です。今日でも皆様方はボランティアをはじめとして、いろいろほかの皆様方に、こうしよう、ああしようとお考えになって実行なさっています。そのことが申し上げるまでもなく全治で、疑問、あるいは不安、悩みがいくらあろうとそれは全治なのです。
では会場からのご質問にお答えします。
最初の方は「仕事中に間違っているところがあるのではないかという不安がわいて来るのは、強迫症状なのか、それとも外向きの事実なのかが分からなくて、仕事が進まなくて困っています」というご質問です。
これについては、自分に答えを出そうとしている限り答えは出ません。とりあえず仕事の必要さの程度に応じてそれを処理することでよろしいのです。
次の方は、「無意識でした行動は信じてよいのでしょうか」というご質問です。
これについては、信じるも信じないも、無意識というのは放っておけばそれで良いのです。森田先生は、その当時日本にはすでにフロイトの精神分析が導入されておりましたが、一切それには手を出されませんでした。まったくそういう無意識に関係なく、全治はまさに目の前、今さっそくの行動の中にあるわけです。
次の方は、「老年期に入り、しかも整形外科疾患があり、外へ働きに行くことが難しくなっています。どうしたら良いでしょうか」というご質問です。
これについては、とにかく一生懸命やるということでよろしいわけです。私もテレビで「教行信証」や「選択集」の講義を視聴しています。「ただ念仏して弥陀にたすけまいらすべし」ということに尽きているのです。
次の方は、「学問として仏教を勉強することは精神作業になりますか」というご質問です。
あらゆる勉強は精神作業としてなさってもよろしいのです。生活の発見会の森田理論学習も勉強としてならしても良いのです。ただ、それを治療として取り入れると、引っかかってどうにもならなくなります。
次の方は「森田療法では悲しい気持ちであっても前進することが大事なのですか」というご質問です。
心はどこまでもご自由であって、私たちはあくまでもその表現を尊ぶわけです。全治の精神はその表現、その仕方を尊んでいるわけです。私どもはひたすら森田先生の尊いご恩に感謝しています。ご恩に報ずる報恩ですから報恩感謝です。これでもう精神面は申し分のない立派な全治の表現なのです。
ということを申し上げて今日の講話を終わらせていただきます。
2024.11.10