三省会

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宇佐晋一先生 講話

 

森田療法の魅力  

 森田神経質の人びとにとって、なんといってもこの療法で「すっかり人がらが変わった」と他人からいわれることが、他の療法で治った人と違う優れた点である。しかし本人の感じではそんなに変わったとはほとんど感じないので、いつまでも自分をふり返れば症状が行く手をはばむように立ち塞がる思いがするのである。これが森田神経質の本質ともいうべき自己不全感による共通の現象である。

 1972年に森田正馬先生生誕百年記念行事の東京大会が東京慈恵会医科大学で開催された時、体験者として招かれた山野井房一郎さんの話は素晴らしかった。治ってから一気に『会計課員の常識』という立派なガイドブックを書き上げてダイヤモンド社から出版し、それがベストセラーのようになって、版を重ねること数十回という当時としては他に例を見ない好評ぶりを極めた。それで森田先生から形外会という治療経験者の集まりの世話役を命ぜられ、形外会のたびに司会者をつとめていた。生誕百年記念大会当日には、その著書を紫の風呂敷に包んで恭しく捧げて演壇に立ち、開口一番「治ったと称して30年、脚はガタガタとふるえながら司会をしておりました」と皆を笑わせる所から話が始まった。三省会でもそうであるが、症状の裏話はとるに足りないおかしさの世界である。それは外界すなわち他者意識の話とすれば大いに議論してもおかしくない。ところが神経質の症状はすべて自己意識のなかに持ちこんだもので、気のすむような完全さを目ざして苦労するのである。

 そこへあらん限りの治療努力が加えられるや、目指すべきは自己満足でしかなく、それはかえって対立概念である不成功感、自己不全感、不安感、不幸感、などを増やすことになってしまう。それらはすべて、 "あってはならないもの" と自己意識内を規正するものばかりであり、不可能なことをなんとかしようと無理をしている姿である。まさに自己意識の世界はその自律性にまかせるのが手取り速い解決の道である。それは他人に訊いても脱線する。問答無用の自己意識すなわち「あるがまま」が出てくれば一挙に解決する。

 難しい話になってしまったのではない。公平に見て森田療法ほど簡単で、やさしいものはない。もっぱら他者意識の世界で大いに計画を立て、皆さんのために、世の中のためになることを探し、そちらのほうに欲ばればすぐ解決する。前三聖病院長宇佐玄雄は「どんどんやりなさい」が口癖だった。

   2022.12.13



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